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広島地方裁判所 昭和62年(ワ)287号 判決 1993年8月26日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

小笠豊

被告

島﨑朗

石川博也

右両名訴訟代理人弁護士

秋山光明

新谷昭治

大元孝次

饗庭忠男

被告

大日本製薬株式会社

右代表者代表取締役

藤原冨男

右訴訟代理人弁護士

石井通洋

間石成人

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自、九九〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告島﨑朗(以下「被告島﨑」という。)及び同石川博也(以下「被告石川」といい、被告島﨑及び被告石川を合わせて「被告医師ら」という。)はいずれも医師で、被告島﨑は医療法人社団静寿会経営に係る肩書地所在の西条精神病院(以下「被告病院」という。)の開設者で、その院長であり、被告石川は同病院の副院長であって、右被告らは、同病院において診療に従事しているものである。

(二) 被告大日本製薬株式会社(以下「被告大日本製薬)という。)は、医薬品の製造、輸入、販売を目的とする株式会社であり、抗てんかん剤アレビアチンを製造、販売している。

2  被告病院における治療経過等

(一) 原告は、昭和三二年三月四日生まれの女子であるが、九歳の時に初めてけいれん発作を起こし、その後も月数回の割合で発作を起こしたため、広島赤十字病院、三次病院、公立上下湯ケ丘病院に通院して、てんかんの治療を受けてきた。

原告は、高校卒業後、しばらく大阪へ行っていたが、昭和五六年八月からは実家で家事の手伝いをし、同年一〇月に父親が倒れ、寝たきりになったので、父親の世話や家事を元気に行っていた。

(二) 原告は昭和五七年六月二一日から昭和六〇年五月一三日まで被告病院に通院し、被告医師らの治療を受けた。

その間、被告医師らは、昭和五七年六月二一日から原告に対し抗てんかん剤のアレビアチンを一日量三〇〇ミリグラム(以下、特記しない限り、薬剤の分量は一日量を表す。また、ミリグラムをmgと、グラムをgと各表記する。)継続投与していたところ、同年六月二六日、原告の母甲野春子(以下「春子」という。)から「昨日頃から睡眠傾向となり、本日は昏睡状態である。」との電話があり、同月二八日、原告が春子に伴われて来院したが、寝たきりで食事もできない状態であった。そのため、被告島﨑は、アレビアチンの過剰投与が原因と考え、アレビアチンの服用量を二分の一にするよう指示した。

(三) ところが、被告島﨑は、一箇月後の同年七月二四日には、原告を診察することなく、再びアレビアチン三〇〇mgを処方し、被告医師らは、その後、昭和五九年二月一五日までの一年半の長期にわたり右処方を継続した。

そして、被告島﨑は、昭和五九年二月一五日の外来診察時に、同年初めから原告に五回の発作があったということで、抗てんかん剤を変更した際、血中濃度測定もしないで、アレビアチンを三〇〇mgから四〇〇mgに増量し、被告医師らは、以来、右処方を継続した。

(四) 原告は、同年七月頃からふらつきや歩行障害が出現し、同年七月九日、原告の家族から「六月中旬頃からめまい、ふらつきがある。」との連絡があり、同年一二月一二日には、原告が春子に伴われて被告病院で受診し、「二箇月前から両下肢のふるえがあり、立っていてもふらつくため機嫌が悪くなる。」との訴えがあったのであって、原告は、二箇月間も下肢の振戦が持続し、同日の診察でも、アレビアチンの典型的な副作用である歯肉肥厚が認められたが、被告医師らは、椎体外路性症状治療薬タスモリンを追加投与したのみであった。

右のように、原告にふらつきが出現し、両下肢のふるえが持続し、原告は、同年一二月には、歩行障害により五級の身体障害者手帳の交付を受けた。

その後、原告は、昭和六〇年四月一〇日に一番頼りにしていた祖母が死亡したことで興奮し易い状態になり、同年五月一一日夜には少し暴力を振るった。

(五) 原告は、同月一三日、春子に伴われて被告病院で診察を受け、そのまま入院した。被告医師らは、入院後、原告に対し毎日アレビアチン四〇〇mg、クランポール四〇〇mg、フェノバルビタール(いずれも抗てんかん剤)のほか、強力精神安定剤であるヒルナミン等を投与したが、特にアレビアチンは、同年七月二六日まで使用された。

(六) 原告は、入院四日目の同年五月一六日頃から「食事に行く時、足がフラフラするんです。」などとふらつきを訴えるようになり、同年六月八日には歩行障害、失調性歩行が出現し、同月二五日には失調高度で、起座・起立不能により全くの臥床状態に陥り、失禁も認められた。春子らが同年六月に面会に行ったところ、原告は、歩くことが全くできず、二人で抱えても体全体に力が入らず、自力で起き上がることも座ることもできなくなっており、また、言葉もほとんどしゃべれなくなっていた。

被告医師らは、同年七月二七日に全部の抗てんかん剤の投与を中止したが、原告は、アレビアチンの投与を中止して二週間後の同年八月一〇日には、自分で食事をし、座ることもできるようになり、つかまり歩行が可能なまでに回復した。

(七) 原告は、右のように入院後歩行障害が進行し、昭和六〇年一二月末、三級の身体障害者手帳の交付を受けた。

(八) 原告は、同年末、外泊の形で家に帰り、そのまま退院した。

3  原告の障害及びその原因

(一) 原告は、昭和六一年初めから社会保険広島市民病院(以下「市民病院」という。)神経科に通院し、リハビリのため同年四月二日から同年六月一六日まで入院し、以後、二週間に一度くらいの割合で通院している。

同病院でのCT検査の結果、原告には、著明な小脳萎縮が認められ、それが原因で歩行障害、構音(発音)障害が発現したものと診断された。

原告は、歩行障害、構音障害その他の小脳萎縮の後遺障害により、食事、用便、入浴、衣服の着脱、洗面等屋内での日常生活にもかなりの介護を必要とし、単独では外出することができない状態である。

(二) 原告の右歩行障害、構音(発語)障害等の後遺障害は、被告病院での昭和五七年以降のアレビアチンの過剰投与によって原告に小脳萎縮が生じたことが原因である。すなわち、アレビアチンの投与による小脳失調性症状の発現、さらに小脳萎縮の発生は、古くから知られており、また、前記のとおり、アレビアチンの投与中止後、間もなく原告の症状が改善しているのであって、原告の場合、アレビアチンの過剰投与が小脳萎縮の原因である蓋然性が高いというべきである。

なお、原告が高校卒業後編み物教室に通い、二〇歳から二三歳まで大阪で単身生活を送っていること、被告病院受診以前には小脳病変を窺わせる臨床症状がないことなどからすると、原告に幼少時から小脳病変があった可能性は否定される。また、頻回のけいれん発作の反復による脳血管の断血性病変の場合は、大脳と小脳の双方に萎縮が認められるのが一般的であるところ、原告の場合、萎縮が大脳に少なく、小脳にのみ著明であることから、その可能性も低いと考えられる。したがって、原告の前記障害は、幼児期からの脳の器質的障害やてんかん発作の重積等が原因とは考えにくいものである。

4  被告医師らの責任

原告は、被告病院において診療を受けるに当たり、被告医師らとの間で、原告のてんかんの状態を観察し、その治療に必要最小限の抗てんかん剤を使用し、その副作用が発現した場合には、薬を替えるか、量を減らすなり、投与を中止して重大な後遺症が残らないよう精神科医として最善の注意義務を払って原告の治療に当たる旨の医療契約を締結した。ところが、被告医師らには、原告に前記後遺障害を生じさせたことにつき以下の過失があり、被告医師らの診療行為は、右医療契約上の債務の不完全履行に該当するから、被告医師らは、原告に対し後記損害を賠償する責任を負う。

また、被告医師らの行為は、同時に不法行為にも該当する。

(一) アレビアチンを多量に、しかも血中濃度測定をしないで継続投与した過失

(1) アレビアチンは、強力な抗けいれん作用を有するが、多くの副作用を誘発するため、初回投与量は、一日量二〇〇ないし二五〇mgとされており、その後臨床症状を観察しながら慎重に増減していくのが普通である。

しかるに、被告島﨑が原告に対し昭和五七年六月二一日の初診時から、一日量三〇〇mgという多量のアレビアチンを投与したのは重大な過失である。

(2) 被告島﨑は、前記のような経過で、同年六月二八日アレビアチンの服用量を二分の一にするよう指示したにもかかわらず、その一箇月後の七月二四日、原告を診察することもなく、再びアレビアチン三〇〇mgを処方し、その後、被告医師らが昭和五九年二月一五日まで一年半の長期にわたり、同量のアレビアチンを処方し続けたのは重大な過失である。

(3) 被告島﨑は、前記のような経過で、昭和五九年二月一五日アレビアチンを一日量三〇〇mgから四〇〇mgに増量したが、アレビアチンの添付文書には、用法・用量として通常成人一日二〇〇ないし三〇〇mgを三回に分割経口投与する旨記載されているのであって、右使用方法に反し一日量三〇〇mgを四〇〇mgに増量したのは重大な過失である。アレビアチンを増量するよりもむしろカルバマゼピンなどの他の抗てんかん剤を追加処方すべきであった。

(4) 被告医師らは、前記のとおり、昭和五九年七月九日、同年六月中旬頃から原告にめまいやふらつきがある旨の連絡を受け、また、同年一二月一二日の診察の際には、二箇月前から両下肢のふるえがあり、立っていてもふらつくため機嫌が悪くなる旨の訴えがあり、その日の診察でもアレビアチンの典型的な副作用である歯肉の肥厚を認めたのであるから、精神科医としては、まずアレビアチン中毒を疑うのが常識であり、アレビアチンを即刻減量又は中止すべきであったのに、被告医師らは、アレビアチンを減量しなかったばかりか、てんかん等のけいれん性疾患患者には、投与しないことを原則とし、特に必要とする場合には慎重に投与すべきとされている錘体外路性症状治療薬タスモリンを処方したのは重大な過失である。

(5) 被告医師らは、原告が昭和六〇年五月一三日に被告病院に入院した後、アレビアチン四〇〇mgのほか強力精神安定剤を併用した治療を継続しているが、同年六月八日には、歩行障害、失調性歩行が出現し、同月二五日には、失調高度で起座、起立不能により全くの臥床状態に陥り、失禁も認められたのであるから、精神科医としては、アレビアチン中毒をまず疑い、アレビアチンの減量などの処置を取るべきであった。

しかるに、被告医師らは、右処置を取らず、その後も同年七月二七日に投与を中止するまで従前どおりの投薬を続けたのは重大な過失である。

被告医師らが投与を中止したのは遅きに過ぎたものであり、また、その際、一時に全部の抗てんかん剤の投与を中止したことも、反治療的であり不適切である。

(6) アレビアチンの血中濃度は、用量依存的に増加するが、直線的ではなく、一日量三〇〇mgを越えるあたりから、血中濃度上昇の勾配が急速に傾斜を増し、容易に中毒量に達するから、アレビアチンの使用に際しては、血中濃度の測定を実施することが不可欠である。また、抗てんかん剤の血中濃度の測定は、当時既に特定薬剤治療管理料として社会保険の適用があり、てんかんの薬物治療の動態管理として確立していたのであって、アレビアチンの血中濃度の測定は、過剰投与ないし中毒量判定の最も客観的な指標の一つとされている。

しかるに、被告医師らは、原告に対し三〇〇ないし四〇〇mgという大量のアレビアチンを使用するに当たり、血中濃度の測定を全然行わなかったのは重大な過失である。

(二) 入院手続が適正を欠いた過失

原告及び春子は、昭和六〇年五月一三日には、被告病院に診察を受けに行っただけであり、入院の意思は全くなかった。被告医師らが診断の結果原告を入院させる必要があると判断したのであれば、原告に入院の必要性を説明し、その承諾を得て自由入院させるべきであり、原告は、当時、その判断能力を有していた。仮に、原告に右能力がなく、精神衛生法(昭和六〇年五月当時のもの。以下同じ。)三三条の同意入院が必要と判断した場合であっても、同伴した母春子に入院の必要性を説明し、その同意を得た上で、市長同意あるいは保護義務者選任の手続を取るべきであった。

したがって、被告医師らが原告にも春子にも入院について何ら説明しないで、心電図を取ると言って原告を奥へ連れて行き、春子をそのまま帰宅させ、原告を入院させたのは極めて欺罔的であり、違法、不当な処置である。

原告は、入院以後、急速に歩行障害、構音障害が増悪しているのであって、違法な入院と原告の後遺障害との間に因果関係が認められるべきである。

5  被告大日本製薬の責任

被告大日本製薬には、原告に前記歩行障害、構音障害を生じさせたことにつき以下の過失があるから、同被告は、不法行為に基づき、原告に対し、被告医師らと連帯して後記損害を賠償する責任を負う。

(一) 副作用の調査義務違反

医薬品を製造、輸入、販売する者は、医薬品が本質的に人の身体、健康に有害な危険、副作用を有するものである一方、その医薬品を製造、輸入、販売することによって、利潤を得ているものであるから、その製造、輸入、販売に伴う法的責任は、極めて重いものであり、薬事法の諸規定を遵守することはもちろん、その時々の最高の医学、薬学などの学問、技術水準に依拠して、医薬品の最終使用者である患者らに対して、その本来の使用目的(治療効果)以外の副作用の発現を未然に防止すべき注意義務があるものと解すべきである。

ところが、被告大日本製薬は、右注意義務を怠り、アレビアチンに重篤な歩行障害、構音障害が発生することについて十分な追跡調査をしなかった。

(二) 副作用(構音障害、歩行障害)についての添付文書による警告義務違反

医薬品の製造、輸入、販売業者は、薬事法五二条一項により、その販売する医薬品の添付文書に「用法、用量その他使用及び取扱い上の必要な注意」を記載する義務を負い、医薬品の副作用などを添付文書に記載して、その使用者である医師などに注意を喚起すべき薬事法上の義務を負っている。

ところが、被告大日本製薬は、アレビアチンの添付文書に副作用として構音障害があることを全く記載せず、また歩行障害についても、「精神神経系眩暈、運動失調、注意力・集中力・反射運動能力等の低下、またまれに頭痛、神経過敏、不眠等の症状があらわれることがある」とのみ記載し、運動失調などの症状が、アレビアチンの継続的使用により重篤な後遺症として固定するものであり、したがって運動失調などの症状が現れた場合には投与を中止すべきである旨の注意書きをしていなかったために、被告医師らも運動失調を一過性のものと考え、継続的に使用して原告に重篤な後遺症を残したものであるから、被告大日本製薬には、添付文書によるアレビアチンの副作用についての警告義務違反が成立する。

6  原告の損害

(一) 逸失利益  四七九九万二五〇円

原告の前記後遺障害の程度は、神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、随時介護を要するものとして、後遺障害別等級表第二級に該当し、原告は、三〇歳から六七歳までの三七年間の全労働可能期間にわたってその労働能力を全部喪失したところ、三〇歳女子の平均年収二三二万六八〇〇円を基礎としてホフマン式計算法によりその間の中間利息を控除し、逸失利益の現価を計算すると右金額となる。

(二) 介護費用  三一五七万一〇四〇円

原告は、前記後遺障害のため一生介護を要するので、介護費用を一日三〇〇〇円とし、昭和六一年一月から平成元年一二月までの五年間の介護費用及びその後女子の平均余命である八〇歳までの四七年間の介護費用(ホフマン式計算法によりその間の中間利息を控除してその現価を計算した額)を計算すると、合計三一五七万一〇四〇円となる。

(三) 慰藉料  二〇〇〇万円

原告の前記後遺障害の部位、程度のほか、被告病院への入院手続が違法、不当であったことなどの事情を斟酌し、慰藉料としては右金額が相当である。

(四) 内金請求 九〇〇〇万円

右(一)ないし(三)の合計損害額九九五六万一二九〇円の内金九〇〇〇万円を請求する。

(五) 弁護士費用 九〇〇万円

7  よって、原告は、被告医師らについては債務不履行又は不法行為に基づき、被告大日本製薬については不法行為に基づき、被告ら各自に対し九九〇〇万円及びこれに対する債務不履行又は不法行為の日の後である昭和六一年一月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告医師らの請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1の(一)は認める。

2(一)  同2の(一)のうち、原告がてんかん発作を起こし、広島赤十字病院、三次病院、上下湯ケ丘病院などに通院して、てんかんの治療を受けてきたことは認めるが、原告が九歳の時に初めてけいれん発作を起こしたことは否認し、その余は不知。原告が初めてけいれん発作を起こしたのは、生後四、五箇月の時である。

(二)  同(二)のうち、原告が昭和五七年六月二一日から昭和六〇年五月一三日まで被告病院に通院し、被告医師らの治療を受けたこと、その間、被告医師らが原告に対し初診時から抗てんかん剤アレビアチン三〇〇mgを継続投与したこと、昭和五七年六月二六日原告主張のとおりの電話があり、同月二八日原告が受診し、アレビアチンの服用量を二分の一にするよう指示したことは認めるが、その余は否認する。右指示をしたのは、アレビアチンの副作用を懸念したためではなく、また、アレビアチンのみの服用量を減らすよう指示したのではなく、当時投与していた薬剤全部の服用量を二分の一にするよう指示したものである。

(三)  同(三)は認める。

(四)  同(四)のうち、昭和五九年七月九日と同年一二月一二日に原告主張のような訴えがあり、原告に歯肉肥厚が認められたこと、タスモリンを追加投与したこと、原告が五級の身体障害者手帳の交付を受けたこと、原告が興奮し易い状態になり、昭和六〇年五月一一日夜暴力を振るったことは認めるが、祖母死亡の事実は不知、その余は否認する。歯肉肥厚は、初診時から存在したものであり、原告の右暴力は、さしみ包丁を振り上げたり、鎌で春子を叩いたりするなどひどいものであった。

(五)  同(五)は、アレビアチンが使用された期間を否認し、その余は認める。アレビアチンの使用は、昭和六〇年七月一八日までである。

(六)  同(六)のうち、原告が入院四日目の同年五月一六日頃からその主張のとおりふらつきを訴えるようになり、同年六月八日には歩行障害、失調性歩行があり、同月二五日には失調高度で、起座、起立不能となり、失禁も認められたこと、原告の体全体に力が入らなかったこと、被告医師らが全部の薬剤の投与を中止したこと、同年八月以降歩行障害が回復したことは認めるが、その余は否認する。投与を中止したのは、同年七月一九日である。

(七)  同(七)のうち、原告が昭和六〇年一二月末、三級の身体障害者手帳の交付を受けたことは認めるが、その余は否認する。

(八)  同(八)は認める。

3(一)  同3の(一)のうち、原告が市民病院のCT検査において小脳萎縮があると診断されたことは認めるが、その余は不知。

(二)  同(二)は否認する。

原告の運動障害若しくは小脳萎縮の原因をアレビアチンであると一元的に断定することは不可能であり、原告の場合、幼児期から存在した脳の器質的損傷が、長年月にわたるけいれん発作の頻発、重積による脳血管の虚血によって惹起された二次的な脳の病変によって進行し、従来から存した脳性麻痺によるある程度の運動障害を徐々に増悪させたものと考えるべきである。

すなわち、生後六箇月頃までのけいれんは、重篤な脳障害、脳疾患によってのみ発現されるとされているところ、原告の場合、生後四、五箇月頃から全身けいれんが発現したのであるから、原告には、生来脳の器質的障害があったと考えられる。また、原告には、知能の発達遅滞が見られるところ、けいれん発作に由来する酸素不足に基づく小脳症状に関しては、特に精神発達遅滞のあるてんかん患者に小脳損傷を来し易いから、原告の場合、幼児期からのてんかん病態を無視して小脳萎縮や運動障害を理解することはできない。

さらに、原告には、小脳萎縮だけではなく大脳皮質の萎縮もあり、これをアレビアチンの副作用のみで説明することは不可能である。

4(一)  同4の冒頭の主張は争う。

(二)  同(一)の(1)のうち、アレビアチンが抗けいれん作用を有し、副作用を誘発する場合があること、その投与に当たっては、臨床症状を観察しながら慎重に増減すべきこと、被告島﨑が初診時から三〇〇mgを投与したことは認めるが、その余は否認する。

(三)  同(2)のうち、重大な過失があったことは否認し、その余は認める。

(四)  同(3)のうち、昭和五九年二月一五日抗てんかん剤の処方を変更し、アレビアチンを三〇〇mgから四〇〇mgに増量したこと、アレビアチンの添付文書に原告主張のとおり記載されていることは認めるが、その余は否認する。

(五)  同(4)のうち、昭和五九年七月九日、原告主張のような連絡があり、また、同年一二月一二日の外来受診の際に、原告主張のような訴えがあり、歯肉肥厚が認められたこと、タスモリンを処方したことは認めるが、その余は否認する。

(六)  同(5)のうち、被告医師らが強力精神安定剤を併用した治療を継続したこと、原告主張のとおり、原告に歩行障害、失調性歩行があり、起座、起立不能となり、失禁も認められたこと、被告医師らが全部の薬剤の投与を中止したことは認めるが、その余は否認する。

(七)  同(6)のうち、抗てんかん剤の血中濃度測定が社会保険の適用となっていたこと、被告医師らがアレビアチンを使用するに当たり、血中濃度測定を行わなかったことは認めるが、その余は否認する。

(八)  同(二)は争う。

5  同6は不知。

6  被告医師らの診療行為は、次に述べるとおり、適切であり、被告医師らには、何らの過失もない。

(一) 原告のてんかん病歴

(1) 原告は、昭和三二年三月四日出生し、生後四、五箇月頃、全身けいれん発作を四、五回起こし、その後、昭和三九年三月頃一日二、三回欠神発作を起こすようになり、広島赤十字病院で受診し、てんかんと診断された。以後、昭和四三年頃まで、アレビアチン等の抗てんかん薬の投与を受けたが、発作が持続し、脳波検査では、高度の発作性異常所見が見られた。

(2) 原告は、中学時代から三次高校布野分校を卒業した昭和四七年四月頃まで三次病院(精神科)で受診し、アレビアチンのほか複数の抗てんかん剤の投与を受けた。

(3) 原告は、昭和五一年一二月七日から昭和五六年一月五日まで上下湯ケ丘病院で外来治療を受けた。初診時、月六回くらい転倒発作を起こしており、アレビアチンほか五剤の抗てんかん剤の投与を受けたが、その後も発作が抑制されず、昭和五二年頃には、精神症状も呈するようになった。昭和五四年頃から発作の軽減が見られ、昭和五六年一月以降受診しなくなり、薬物療法が中断された。

(二) 被告病院における治療経過

(1) 昭和五七年六月二一日の被告病院での外来初診時、原告に付き添っていた春子は、「二、三年服薬を止めている。最近は月六回くらいけいれん発作が起き、発作の後、もうろう状態が五分くらい続く。」と述べ、脳波検査では、高度のてんかん性異常所見を示した。そこで、被告医師らは、真性てんかんと診断し、抗てんかん剤フェノバルビタール八〇mg、アレビアチン三〇〇mgを処方し、以後この投与を続けた。

(2) 昭和五七年七月以降昭和五八年一二月までの間、けいれん発作もなく特に異常なく経過したが、昭和五八年一二月発作を二回起こしたほか、昭和五九年一月から同年二月一一日までの間、五回けいれん発作があり、同月一五日に施行した脳波検査では、持続性てんかん異常を示した。そこで、被告医師らは、同日、従来の抗てんかん剤の用量を増加して、フェノバルビタール一〇〇mg、アレビアチン四〇〇mgとし、抗てんかん剤フェネトライド四〇〇mgを追加処方し、以後この投与を続けた。

(3) 原告は、右のように抗てんかん薬療法の継続中に、なおてんかん発作が頻回に出現し、脳波検査でも高度の異常所見を示していたが、昭和五九年五月三〇日、包丁を振り回して春子に暴行を働き、その後、次第に暴行がひどくなり、昭和六〇年五月一一日夜には、刺身包丁を振り上げ、鎌で春子を叩くなど精神症状が悪化した。

原告は、同月一三日春子に付き添われて来院し、春子は、原告の右暴行を訴え、春子の強い希望もあって、原告は、被告病院に入院することとなった。なお、原告は、昭和六〇年一月「脳性マヒによる体幹機能障害五級」の身体障害者手帳の交付を受けていた。

原告は、入院時、てんかん性もうろう状態であり、入院を拒否しようとして興奮、暴行し、窓から飛び降りようとしたり、走り回ったりしたほか、けいれん発作の発来があった。

被告医師らは、原告をてんかん性精神病と診断し、フェノバルビタール一〇〇mg、アレビアチン四〇〇mg、抗てんかん剤クランポール四〇〇mg、精神安定剤一〇%ヒルナミン散二g、同セファルミン五mg六錠、抗ヒスタミン剤プロメタジン五〇〇mg、緩下剤カマグ一gを処方し、以後これを投与した。

なお、被告医師らは、入院時、春子に抗てんかん剤の血中濃度測定を実施してみようと話したが、同人は、夫が脳卒中で倒れているので、保険外の負担は耐えかねると述べて検査を断った。

(4) 原告の暴行、拒薬、拒食、興奮などの精神症状は、入院後も続いたため、被告医師らは、抗てんかん剤と精神安定剤の併用投与を続けた。

(5) その後、精神安定剤の通常の作用である一過性の歩行障害の増悪が見られた。被告医師らは、精神安定剤の投与を続けても興奮状態が改善できないので、同月二八日処方を変更し、いったん精神安定剤の投与を中止することとし、以後、フェノバルビタール一〇〇mg、アレビアチン四〇〇mg、クランポール四〇〇mgのみとした。しかし、原告は、同年七月五日以降暴行、興奮が続き、拒食、暴言が繰り返されたので、同月一七日、被告医師らは、処方を変更し、再び精神安定剤を加えることとし、抗精神病剤一〇%ニューレプチル一g、精神安定剤ホリゾン五mg一錠、抗ヒスタミン剤一〇%ヒベルナ0.5g、抗パーキンソン剤タスモリン一mg三錠を処方し、これを投与することとした。

(6) 被告医師らは、原告が精神安定剤のため下肢脱力状態となり、また同剤の効果が見られない上、数日中に脳波検査を行う予定であったので、同月一九日一切の投薬を中止して、経過を観察することとした。ところが、一週間後の同月二六日入浴直後、大けいれん発作があり、もうろう状態が続いたのを始めとして、同月二七日の脳波検査中にも大けいれん発作が発来し、右二日間で四回の大けいれんが重積し、同日施行の脳波所見も最悪の状態であった。

そこで、被告医師らは、同日、一〇%フェノバルビタール一cc、五mgリントン一ccを静注したほか、従来の処方を変更し、抗けいれん剤バレリン一〇〇mg六錠、精神安定剤ホリゾン五mg一錠の投与を始めた。

(7) その後、経過良好であったが、同年八月一二日頃、拒食、拒薬等が強くなったので、同月一三日てんかん精神運動発作に有効な抗てんかん剤レキシン六〇〇mgを併用することとした。

その後、原告は、気分の変動が激しい時以外は経過は比較的良好であり、同年九月には自力歩行が可能な状態になり、同月九日の診察時にも身体的に特に異常は認められなかった。

(8) 春子から、入院費用を免除してもらうため、三級の身体障害者手帳の交付を受けたいとの要望があり、原告は、被告島﨑の紹介で県立リハビリセンターで受診し、同年一一月二六日、三級の認定を受けた。

(9) 同年一一月二九日、原告は、食事中突然けいれん発作を起こし、一〇%フェノバール一アンプル筋注後も、もうろう状態が続いた。

(10) 原告は、同年一二月三一日外泊帰宅し、そのまま昭和六一年一月一三日退院した。

(三) アレビアチンの投与量等について

(1) 昭和五七年六月二一日の処方(請求原因4の(一)の(1)に対する反論)

原告のてんかん症状は、前記(一)記載のとおり、普通てんかんとは異なり、幼児期から抗てんかん薬療法を受けてきたが、てんかん発作が持続する難治性てんかんであり、被告病院での外来初診当時、一箇月に約六回のけいれん発作が頻発し、発作後もうろう状態を呈し、また、脳波所見も高度の持続性てんかん性異常を示していた。

右のとおり、原告は、幼児期から抗てんかん剤の投薬治療を継続していたのであって、被告病院でのアレビアチンの投与をもって初回投与というべきではない。また、原告のような病歴を有する場合、アレビアチンの初回投与量は、二〇〇ないし三〇〇mgに制限されるものではなく、既往歴、てんかん発作の種類、てんかんの病歴、現病歴等を総合的に判断して投与薬剤及び投与量が決定されるものであり、しかも右決定は、医師の裁量範囲に属するところ、原告の場合、右のとおり難治性てんかんで、被告病院での初診時においてもてんかん発作が頻発していたこと及び前記脳波所見等に照らし、被告医師らは、発作抑制は困難であると判断し、初診時に前記のとおりの処方をしたのであって、右判断は当然であり、アレビアチン三〇〇mgの投与は、決して過剰とはいえない。

(2) 昭和五七年七月二四日の処方(請求原因4の(一)の(2)に対する反論)

被告島﨑は、昭和五七年六月二八日薬の服用量を二分の一にするよう指示した。同被告は、原告の傾眠状態は、発作ではないかと考えたが、原告や家族に薬に対する不安があったことから右指示をしたものである。アレビアチンと同時に投与したフェノバルビタールは、抗てんかん剤であると同時に催眠剤であって、原告の傾眠状態が服用薬の反応であるとすると、アレビアチン(アレビアチンには催眠作用はない。)よりもフェノバルビタールの薬理作用と考えられる。

そして、一箇月後の同年七月二四日に来院した春子の報告によると、発作も傾眠状態もなく、異常がないとのことであったので、従前どおりの処方を継続した。さらに、その後昭和五八年一二月二〇日までの約一年五箇月間、来院した原告又は春子からの病状経過の聴取によると、発作は抑制され、薬剤の副作用と思われる異常は認められなかったので、右処方を継続したものである。ところが、右処方による服薬を継続したにもかかわらず、昭和五八年一二月二〇日に至って発作が二回起き、続いて昭和五九年一月から同年二月一一日までにけいれん発作が五回起き、同月一五日脳波所見は、持続性てんかん性異常を示していたのであって、右事実は、右処方によるアレビアチン及びフェノバルビタールの投与により従来異常なく、安定的に経過していたのに、右時期に至って右処方による抗てんかん剤が治療有効量に不足するようになったことを意味している。したがって、アレビアチン三〇〇mgの投与が過剰であったとはいえないし、昭和五七年六月当時の傾眠症状は、薬理作用又は一過性の症状であり、全量投与によっても格別副作用は生じていなかったものである。

(3) 昭和五九年二月一五日の処方(請求原因4の(一)の(3)に対する反論)

アレビアチンの添付文書に用量として通常成人一日二〇〇ないし三〇〇mgと記載されているが、抗てんかん剤の投薬量は、既往歴、てんかん発作の種類、てんかん病態等総合的に判断して決められるべきものであって、添付文書の記載がすべてのてんかん患者に画一的に適用されるものではない。右添付文書にも極量として一回三〇〇mg、一日一gと記載されており、症例により通常用量と異なる投薬量があることを前提としている。原告の場合は、前記のとおり、難治性てんかんであり、幼児期以来のてんかん発作の重積により、病態は、徐々に進展していたのであって、普通てんかんの場合と異なる投薬量を処方したことは決して誤った処方とはいえない。特に、昭和五九年二月一五日の診察では、昭和五八年一二月以降発作が頻発し、従前の処方では、発作抑制が困難になっており、脳波検査所見も高度異常を示していたのであるから、被告島﨑がけいれん発作抑制のため従前の処方を変更して、従前の抗てんかん剤を増量し、別の抗てんかん剤を追加処方したのは当然である。

原告は、アレビアチンを増量するよりもむしろカルバマゼピンなどの別の抗てんかん剤を追加処方すべきであったと主張するが、投与すべき薬剤の選択は、その当時の臨床経過の中で、別の抗てんかん剤を追加するか否かを含めて医師の裁量範囲において決定すべき事項である。従前の処方では発作の抑制ができなくなったということは、アレビアチン三〇〇mgが有効治療濃度に達していなかったことを意味するものであり、しかも、一日四〇〇mgという量は、アレビアチンの極量からみて必ずしも多い量ではなく、また、アレビアチンの用量については、一日一〇〇ないし四〇〇mgあるいは二〇〇ないし四〇〇mgとする文献も存するのであって、昭和五九年二月一五日の処方は、医師の裁量の範囲であるというべきである。

(4) 昭和五九年七月九日及び同年一二月一二日の処置及び処方(請求原因4の(一)の(4)に対する反論)

被告島﨑は、昭和五九年七月九日に同年六月中旬頃からめまいやふらつきのような症状があるとの連絡を受けたが、その後、同年八月四日、九月八日、一〇月一二日、一一月二日に春子が来院した際、原告の病状を聴取したところ、薬の副作用と窺われるような状況の訴えは全くなく、発作も起こさず、状態は安定しているものと思われたため、従前の処方を変更しなかったものである。

また、被告石川が同年一二月一二日に原告を診察した際、二箇月前から両下肢のふるえがあり、立っていてもふらつくため機嫌が悪くなる旨の訴えがあり、同医師の診察所見によると、感情鈍麻、行動緩慢やうろつき歩き(自動症)、執拗、歯肉腫脹、両側膝腱反射亢進が認められた。両側膝腱反射亢進は、脳の器質的変化に基づく錐体路障害を示すものであり、また、非合目的動きは、てんかん発作の自動症であろうと考えた。そして、ふるえの原因を一元的に捉えることは困難であることから、種々の原因を考えながら、ふるえを改善する目的で抗パーキンソン剤タスモリンを投与したが、量的にも多いものではなく、これをもって誤りであるというほどのものではない。

なお、歯肉腫脹は、アレビアチンの連用の場合に生じるが、ほとんどのてんかん患者に見られるものであって、これをもってアレビアチンの過剰投与ということはできないし、アレビアチンを減量したり中止したりする決め手となる症状ではない。

(5) 入院後の処置(請求原因4の(一)の(5)に対する反論)

原告主張の失調性歩行等は、てんかん性もうろう状態として見られる症状であって、必ずしもアレビアチン中毒特有のものではない。

被告医師らは、原告の入院後もアレビアチン等の抗てんかん剤を漫然と使用していたものではない。すなわち、被告医師らは、当初精神安定剤と抗てんかん剤の併用投与を続けたが、症状改善がないので、昭和六〇年六月二八日、いったん精神安定剤の投与を中止することとして処方を変更した。しかし、その後、興奮状態は、激しくなって続き、同年七月五日、六日、一三日、一七日と暴行、暴言、拒食、反抗的言動等が見られ、精神症状が悪化したので、同月一七日処方を変更し、再び精神安定剤等の併用投与を再開した。さらに、原告の下肢脱力状態が認められた同月一九日には、一切の薬剤使用を中止し、経過観察を試みた。しかし、その一週間後の同年七月二六日と二七日に四回のけいれん大発作の重積があり、脳波所見も最悪状態を示したので、やむなく同月二七日、フェノバルビタール、リントンの静脈注射をしたほか、従前の処方を変更して抗けいれん剤バレリン、精神安定剤ホリゾン等の投与を始め、同年八月一三日抗てんかん剤レキシンを併用することとしたものである。

このように、被告医師らは、原告の症状に応じて適宜処方を変更し、薬剤や用量を決定し、原告のてんかん治療を続けたものであって、抗てんかん剤の使用量や使用方法は、適切であり、誤りはない。

(四) 血中濃度測定について(請求原因4の(一)の(6)に対する反論)

被告医師らは、原告に対し複数の抗てんかん剤を投与し、病態観察を続けていたが、発作を抑制することができず、けいれん発作が頻発し、精神症状も悪化していたのであって、原告の場合、血中濃度測定により有効治療濃度を確認しなければならない場合というより、むしろ臨床的に有効治療濃度に達していなかったことを示している。

そして、血中濃度測定には、次のような問題点があった。

すなわち、当時、一箇月に一回に限り抗てんかん剤の血中濃度測定が保険適用として認められていたが、複数剤投与の場合、複数剤について保険適用となっていたわけではないから、保険適用外の測定については、患者負担となるが、春子は、経済的理由により血中濃度測定を断った。

また、当時は、血中濃度測定をするためには、東京の業者に送付するしか方法がなかった上、血中濃度測定による有効治療範囲とけいれん発作抑制の臨床症状とが必ずしも一致しないことが多く、信頼性に乏しく、保険適用の一箇月一回のみの検査では、臨床上有意義な結果を得るには不十分であり、血中濃度測定を臨床的に利用するには限界がある。特に、原告のように難治性てんかんで多剤投与が行われている場合には、抗てんかん剤の血中濃度測定の有用性、信頼性は乏しい。

したがって、被告医師らが血中濃度測定をしなかったことは、治療上の過失とはいえず、かつ、これをしなかったことと原告の障害との間には何ら因果関係がないというべきである。

7  原告の入院手続は、次に述べるとおり適法である。

原告が被告病院に入院するまでの経緯や原告の病状は、前記6の(一)、(二)記載のとおりであり、原告は、幼児以来の難治性てんかんで、てんかん発作の重積により徐々に増悪し、やがて精神症状を呈するまでに至ったものであるところ、被告病院の管理者である被告島﨑は、昭和六〇年五月一三日、右経過及び病状診断により原告を精神障害者と診断し、その医療及び保護のため入院の必要があると認めた。原告に付き添っていた春子は、原告の入院を要請したが、春子は、精神衛生法三三条に定める同意権を有する保護義務者ではなく、当時、原告には右保護義務者がいなかった(原告は、当時成年の未婚者であって、後見人、配偶者がなく、春子ら数名の扶養義務者がいたが、保護義務者選任の手続が未了であった。)ので、被告病院は、同法二一条に基づき原告の居住地を管轄する三次市長を保護義務者とする同法三三条の同意入院手続を取り、同法三六条一項に基づき広島県知事に入院届けをした。

次いで、春子は、被告病院の指導により、広島家庭裁判所三次支部に対し、原告の保護義務者として原告の父を選任することを求める申立てを病臥中の父に代わって行い、同支部は、昭和六〇年五月二七日付けで同旨の審判をした。そして、春子は、右審判書謄本を被告病院に持参し、同年五月二七日付けで父名義による同法三三条の入院同意手続をし、被告病院は、同年六月三日付けで広島県知事及び三次市長に対し同意者変更届を提出した。なお、原告の入院当時の精神症状に照らし、病識のない原告に入院同意を求めること自体困難であるばかりでなく、精神障害者自身の入院同意は、入院のための法律上の要件ではない。

以上のとおり、原告の入院手続は、適法かつ相当であり、また、右入院手続の違法と原告の障害との間には因果関係がないというべきである。

三  被告大日本製薬の請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1の(二)は認める。

2  同2は不知。

3(一)  同3の(一)は不知。

(二)  同(二)は争う。

原告の症状は、原告の病歴に照らし、アレビアチンの副作用ではなく、原告の幼少時からの難治性てんかんに由来する脳の器質的障害によるものである。

すなわち、小児のてんかんに関する現在の医学的知見によれば、生後六箇月頃までは、けいれんが起こりにくい時期であり、重篤な脳障害あるいは脳疾患によってのみけいれんが発現するとされているので、もしこの時期にけいれんが見られたとすれば、重篤な脳障害もしくは脳疾患の存在を高度の蓋然性をもって考えることができるところ、原告の場合、生後四、五箇月頃に既に全身けいれんがあったというのであるから、その時点において原告の脳に器質的な障害があったことが窺われる。

また、原告の乳児期における脳障害もしくは脳疾患の存在が肯定できないとしても、てんかん患者の大脳や小脳に萎縮性の病変が見られることはそれほどまれではなく、てんかん発作やてんかん発作重積症が大脳や小脳の二次的な萎縮を惹起することがよく知られているところ、原告は、小児期から、広島赤十字病院、三次病院、上下湯ケ丘病院等でてんかんの治療を受けてきたというのであるから、原告の場合、幼児期に発病した難治性てんかんが発作の頻発、けいれん重積状態の出現によって脳に病変をもたらしたものと考えることは十分可能である。

さらに、原告には、小脳の半球優位の萎縮、第四脳室の拡大のほかに大脳皮質にも軽度の萎縮が認められているが、この点も右のような考え方が妥当であることを裏付けるものである。すなわち、抗てんかん薬を服用している患者に極めてまれにではあるが、小脳失調が見られることが知られている。したがって、小脳萎縮については、抗てんかん薬で説明できないわけではないが、大脳の萎縮という変化は、抗てんかん薬なかんずくアレビアチンの副作用ということでは説明できない変化であるのみならず、前述のようにてんかん発作やてんかん発作重積症によって小脳や大脳の萎縮という変化が生ずることがよく知られているのであるから、原告の大脳及び小脳に見られる右変化は、原告の病歴そのものに由来する変化と考えるのが最も妥当である。

4(一)  同5の冒頭の主張は争う。

(二)  同(一)のうち、医薬品が副作用を有することがあること、製薬会社が薬事法を遵守しなければならないこと、製薬会社には医薬品の安全性を確保する義務があることは認め、その余は否認ないし争う。

(三)  同(二)のうち、製薬会社が薬事法五二条の規定に基づき、医薬品の添付文書に「用法、用量その他使用及び取扱い上の必要な注意」を記載しなければならないこと、右記載事項に副作用が含まれること、被告大日本製薬がアレビアチンの添付文書に運動失調等の症状がアレビアチンの継続使用によって重篤な後遺症として固定するとの記載をしていないこと、運動失調等の症状が現れた場合に投与を中止すべきであるとの記載をしていないことは認め、その余は否認ないし争う。

アレビアチンの添付文書には、構音障害及び運動失調についてこれらの症状が過剰投与の徴候であることが多いのでこのような症状が現れた場合には、至適有効量まで徐々に減量すべきことが使用上の注意として記載されている。

(四)  アレビアチン(成分フェニトイン)は、昭和一五年に発売され、四〇年間以上にわたりてんかん治療の中心的薬剤として使用されてきた、使用頻度も極めて高い医薬品であり、少なくともてんかん治療に携わる臨床医は、その特性を知悉し、使用方法に習熟している医薬品である。

そして、本件当時において、てんかん治療に携わる医師の常識として、アレビアチンを含む抗てんかん薬は、わずかの過量投与でも中毒症状を惹起し易く、そのために至適投与量を決定するために十分な注意、例えば、血中濃度の測定が必要であること等が知られていた。

右のとおり、アレビアチンは、添付文書に適正な使用方法に関する注意を記載する必要すらない程、その使用方法は、実地臨床に定着していたのであるが、アレビアチンの添付文書には、右のような適正な使用方法を知らない医師がてんかんの適切な治療を行う上で必要な情報がすべて記載されている。すなわち、本件との関連でいえば、精神神経系の副作用として「眩暈、運動失調、注意力・集中力・反射運動能力等の低下、またまれに頭痛、神経過敏、不眠等の症状があらわれることがある」こと、「眼振、構音障害、運動失調、眼筋麻痺等の症状は過量投与の徴候であることが多いので、このような症状が現れた場合には、至適有効量まで徐々に減量すること」、投与量と血中濃度との関係に関する情報及び「投与量の増減が血中濃度に及ぼす影響は極めて大きい」ため、「患者の血中フェニトイン濃度を測定し、至適投与量の検討ないし中毒症状発現防止に役立てられている」ことのほか、歯肉増殖が副作用として現れることなどが記載されている。

したがって、添付文書を一読すれば、中毒症状の発現を防止するための至適投与量を血中濃度の測定によって知り得ること、万一ある種の症状が現れた場合には、過量投与であることを知り得るのであるから、アレビアチンの適正な使用方法を知らない医師が添付文書を頼りにアレビアチンを使用する場合であっても、小脳萎縮のような重大な結果の発生は未然に防止し得たはずである。

まして、被告医師らは、てんかん治療に長い経験を有し、アレビアチンの使用経験も長いというのであるから、添付文書の記載がどうであったかということと被告医師らのアレビアチンの使用方法の適否とは全く無関係である。

したがって、仮に、原告の運動障害がアレビアチンの副作用によって生じたものであったとしても、アレビアチンの添付文書の記載と本件アレビアチンの副作用の発現ないし原告の症状固定との間に何らの因果関係もないというべきである。

5  同6は不知。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  当事者

請求原因1(当事者)の(一)は、原告と被告医師らとの間で争いがなく、同(二)は、原告と被告大日本製薬との間で争いがない。

二  被告病院における治療経過等

成立に争いのない甲第一ないし第三号証、第五号証の一、二、第一一、第一二、第一七ないし第一九号証、乙第一、第二号証、丙第一号証、証人佐々木高伸、同甲野春子の各証言、原告、被告島﨑朗及び同石川博也各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる(原告と被告医師らとの間では、請求原因2(治療経過等)の(一)のうち、原告がてんかん発作を起こし、広島赤十字病院、三次病院、上下湯ケ丘病院などに通院して、てんかんの治療を受けてきたこと、同(二)のうち、原告が昭和五七年六月二一日から昭和六〇年五月一三日まで被告病院に通院し、被告医師らの治療を受けたこと、その間、被告医師らが原告に対し初診時から抗てんかん剤アレビアチン三〇〇mgを継続投与したこと、昭和五七年六月二六日原告主張のとおりの電話があり、同月二八日原告が受診し、アレビアチンの服用量を二分の一にするよう指示したこと、同(三)の事実、同(四)のうち、昭和五九年七月九日と同年一二月一二日に原告主張のような訴えがあり、原告に歯肉肥厚が認められたこと、タスモリンを追加投与したこと、原告が五級の身体障害者手帳の交付を受けたこと、原告が興奮し易い状態になり、昭和六〇年五月一一日夜暴力を振るったこと、同(五)のうちアレビアチンの使用期間を除くその余の事実、同(六)のうち、原告が入院四日目の同年五月一六日頃からその主張のとおりふらつきを訴えるようになり、同年六月八日には歩行障害、失調性歩行があり、同月二五日には失調高度で、起座、起立不能となり、失禁も認められたこと、原告の体全体に力が入らなかったこと、被告医師らが全部の薬剤の投与を中止したこと、同年八月以降歩行障害が回復したこと、同(七)のうち、原告が昭和六〇年一二月末、三級の身体障害者手帳の交付を受けたこと、同(八)の事実、同3(原告の障害及びその原因)の(一)のうち、原告が市民病院のCT検査において小脳萎縮があると診断されたことは争いがない。)。

1  被告病院を受診するまでの経過

(一)  原告は、昭和三二年三月四日に出生した女子であるが、正常分娩であり、出生時には、特に異常は見られなかった(なお、家族にてんかん患者はいない。)。しかし、生後四、五箇月頃に全身けいれん発作を四、五回起こし、内科医の診察を受けたことがあった。

(二)  原告は、その後、特にけいれん等の症状は見られなかったが、昭和三九年三月頃から座っていてうわごとを言ったり、ボーとする三秒程度の欠神発作様の症状(意識障害、小発作)を一日に二、三回起こすようになったため、広島赤十字病院小児科で受診し、てんかんと診断され、抗てんかん薬(薬剤名は判明しない。)の投与を受けるようになった。同年六月から同年一〇月末頃までは発作がなかったが、同年一一月頃からじっと一点を見つめる発作(欠神発作)を一日二、三回起こし、翌昭和四〇年七月末頃から遊んでいて急に倒れる発作(転倒発作)や欠神発作が一日に二回ないし四回起き、また、夜中に急に起き上がりキョロキョロして、直ぐまた寝るなどの症状が見られた。また、同年一〇月二日同病院で施行した脳波検査では、突発性異常波が見られ、不規則な高振幅徐波の混入が著しいという高度の発作性異常所見を示した。同病院は、アレビアチン(昭和四一年一月二四日以降一〇〇mg)のほかルミナール、ミノアレビアチン、クランポールなどの抗てんかん剤を投与したが、それにもかかわらず、欠神発作や小発作がしばしば生じていた。その後、昭和四一年二月頃から発作は抑制されるようになったが、同年一二月九日の脳波検査では、依然として突発性異常波、不規則な高振幅徐波が認められた。

(三)  原告は、中学校に入学した昭和四四年頃から三次病院(精神科)で治療を受けるようになり、アレビアチン(二三〇mg)、ルミナール、オスポロット、マイソリン、ダイヤモックス、テグレトール等の抗てんかん剤の投与を受けていたが、その間も発作は完全に抑制されず、一六歳時には、自転車に乗っている際に発作を起こして転倒し、骨盤骨折の傷害を受けたことがあった。

(四)  原告は、昭和五〇年三月三次高校布野分校(普通科)を卒業し、昭和五一年一二月七日(一九歳時)から公立上下湯ケ丘病院で治療を受けるようになった。当時、原告は、上を向いてウーンと言って両手を握って反りかえるような発作(転倒を伴うこともある。)を一箇月に平均五、六回起こしており、同病院では、アレビアチン(一八〇ないし二五〇mg)、デパケン、マイソリン、オスポロット、テグレトール等の複数の抗てんかん剤の投与を受けた(投与する薬剤の種類や量には変化が見られるが、アレビアチンは終始使用されている。)。同病院受診当初、抗てんかん薬の投与にもかかわらず、発作は容易に抑制されなかった上、失調性の動作、歩行障害、手のふるえ等が見られ、また、精神的にも不安定な状態に陥り、生きていてもつまらないとか恐ろしいことが浮かんでくるなどと口にしていたが、昭和五二年秋頃から発作が軽減し始め、精神状態も落ちついた。原告は、その頃から大阪の伯母方で生活するようになり、同年一二月二〇日に診察を受けたのを最後に来院しなくなり、その後は、春子が一箇月に一回程度来院して投薬を受けるだけになったが、同人の報告によると、発作はほとんどなくなり、状態は良好であるとのことであった。

(五)  原告は、昭和五六年一月に投薬を受けたのを最後に同病院での治療をやめ、その後は抗てんかん薬も服用しなくなり、同年八月頃実家に戻り、家事の手伝い等をしていたが、昭和五七年頃から再び発作が頻発するようになり、被告病院で受診することになった。

2  被告病院での外来治療の経緯

(一)  原告は、昭和五七年六月二一日(二五歳時)、被告病院で被告島﨑の診察を受けた。同伴していた春子は、同医師に対し、「小学校三年生の時最初の意識障害とけいれんが発来した。最近は、月六回のけいれん発作が起き、発作の後もうろう状態が五分続く。」旨説明した(なお、右1の(一)認定のとおり、最初の発作は、生後四、五箇月の時であるから、この点に関する春子の説明は、記憶違いであると認められる。)。同日施行の脳波検査では、高振幅(八〇ないし一二〇マイクロボルト)徐波(四ないし六サイクル)が基本波形としてびまん性に見られ、過呼吸時には高電位(二〇〇マイクロボルト)棘波、律動異常が著明でヒプスアリトミア(後記三の2参照)を呈し、高度の持続性てんかん性異常所見が認められた。被告島﨑は、原告を真性てんかんと診断し、抗てんかん剤フェノバルビタール八〇mg、アレビアチン三〇〇mg三〇日分を処方した。

(二)  同月二六日、春子は、被告病院に電話で「原告が昨日頃から睡眠傾向となり、今日は昏睡状態で、呼吸は静かで脈は正常である。」と報告した。被告島﨑は、右症状はてんかん発作であると考え、来院を促したが、間もなく、原告が気がついたとの電話連絡があったので、経過を観察するよう指示した。

同月二八日、原告と春子が来院し、寝たきりで食事ができないと訴えた。被告島﨑は、原告が薬物に慣れないために過剰な反応が起きたものと考え、原告や春子の薬に対する不安を除くために服用量を半減するよう指示した。

その後、原告は、半量を服用していたが、同年七月二四日に春子が投薬を受けるため来院した際、「その後異常がなかったので、薬はそのまま服用している。」旨話したので、被告島﨑は、以後、初診時と同様の処方を続けた。

(三)  原告は、その後、昭和六〇年五月に入院するまでの約三年間に合計六回来院して診察を受けているが、それ以外は、春子ら家人が月一回程度来院して投薬を受け、原告の病状を報告する程度であった。昭和五七年一二月二〇日に原告が来院した際の問診によると、被告病院を受診した同年六月以来けいれんがなく病状も不変とのことであり、翌昭和五八年三月五日の受診時も同様で、家事や父親の看病を行うほか軽い山仕事にもたまに従事していると述べた。また、投薬のため来院した家人の報告によると、原告は、発作が抑えられ、薬の副作用と思われる症状もなく、異常なく経過しているとのことであった。

(四)  ところが、昭和五八年一二月二〇日に春子が来院した際、最近発作が二回あったとの訴えがあり、翌昭和五九年二月一五日に原告が春子同伴で来院した際には、同年一月一日から同年二月一一日までに五回のけいれん発作があったことを訴えた。右来院当日、脳波検査を行ったところ、初診時と同様の持続性てんかん性異常所見であったが、安静時の電位が八〇ないし一三〇マイクロボルトと初診時よりもやや悪い所見を示した。そこで、被告島﨑は、従前の処方では、発作の抑制に十分でないと考え、フェノバルビタールを一〇〇mgに、アレビアチンを四〇〇mgに増量したほか、別の抗てんかん剤フェネトライド四〇〇mgを追加処方した。

(五)  その後、同様の処方を続けていたが、昭和五九年五月三〇日、家人から「原告が包丁を振り回したりして春子に暴行するので、受診させる。」との電話連絡があったが、原告は、来院しなかった。また、同年七月九日には、春子から電話で「六月中旬以降めまい様、ふらつき様の症状が出ている。薬が変ったのか。」という訴えがあった。被告島﨑は、代理発作(てんかんに見られる発作の一種で、けいれん発作を中途半端に抑制した場合に完全な形ではなく、ふらつきやめまいなどの形で起こる発作)と考え、経過を見るよう指示した。なお、原告は、同年六月上旬ハワイに旅行した。

そして、同年一二月一二日、原告と春子が来院し、被告石川に対し「二箇月前から下肢のふるえがあり、立っていてもふらつくため機嫌が悪くなる。」と訴えた。同被告が原告を診察したところ、感情が鈍麻し、行動が緩慢でやや執ようであり、歯肉の腫脹と両側膝腱反射亢進が認められた。同被告は、下肢のふるえは、向精神薬の副作用による錐体外路障害(パーキンソン病)が原因となっている可能性があると考え、従前の抗てんかん薬に加え、抗パーキンソン剤であるタスモリン一mg三錠を投与し、以後、昭和六〇年四月二〇日に抗てんかん薬フェネトライドをクランポール(フェネトライドと成分は同じで別の製品)に変更した以外は、入院するまで同様の処方が行われた。

なお、原告は、昭和五九年一二月一四日「脳性麻痺による体幹機能障害(五級)」の身体障害者手帳の交付を受けた。

3  入院治療の経過

(一)  原告は、昭和六〇年五月一三日(原告二八歳時)春子同伴で来院した。被告島﨑が診察したところ、原告には、てんかん患者に特徴的な性格変化である興奮、迂遠な思考や執ようさあるいは自己中心的な発言が認められ、兄弟に対する不満などをくどくどと訴え続けた。また、春子は、「昨年来原告に暴行があり、次第に激しくなってきている。一昨夜は、さしみ包丁を振り上げたり、鎌で叩かれたりした。」と説明した。被告島﨑は、原告には、てんかんに由来する精神症状が現れているものとしててんかん性精神病と診断し、興奮等の精神症状に照らし在宅治療は無理と判断し、原告を被告病院に入院させることとした。そして、激しい精神症状を鎮静するため、従前の抗てんかん剤(フェノバルビタール一〇〇mg、アレビアチン四〇〇mg、クランポール四〇〇mg)に加え、強力精神安定剤一〇%ヒルナミン散二g(二〇〇mg)、同五mgセファルミン六錠、抗ヒスタミン剤プロメタジン五〇〇mg等を処方した。

入院当日、原告は、けいれん発作の発来があったほか、病室で窓から飛び降りようとしたり、走り回るなどの激しい興奮状態を呈したため、被告島﨑は、興奮の抑制、鎮静を目的として麻酔薬イソミタールソーダを昼と夜の二回注射した。

(二)  入院当初、原告は、他の患者とほとんど交流せず、食事の時以外はほとんど就床していたが、同月一六日から足がフラフラすると訴えるようになり、同月二〇日には、家に帰ると言って食堂の階段の格子戸を掴んで離そうとしなかったり、食事や服薬を拒否し、物を投げつけるなどの反抗的態度や興奮が見られたが、翌日は、言葉もはっきりし、足取りもしっかりしていた。同月二四日の脳波検査では、高電位徐波が頻発し、意識障害持続の脳波所見であった。

原告は、その後も執ように看護婦に話し掛けたり、口から出任せにまとまりのない話をしたり、しきりに独語をし、窓ガラスを叩いたり(同月二五、二六日)、介護しようとする看護婦に起き上がって掴み掛かりひっかく(同月二九日)などの暴行に及び、気に入らないと立腹し、不機嫌になるなど不安定な精神症状が続いた。また、この頃、朝食時足元がふらつき、定まらない(同月二七日)、起き上がる時にふらふらで倒れそうになる(同月二八日)症状が見られた。

(三)  同年六月一日以降、失禁が見られ、同年六月八日の診察時には、歩行障害があり、失調性歩行(酩酊様の歩行)で危なっかしい状態であった。翌九日深夜、看護婦詰所に来て、「直ぐに殺してください。生きていてもつまらんのです。」と言い、てんかん性精神病の一症状と考えられる刺激性抑うつ症状が見られた。また、この頃から何事にも看護婦の介助を求めるようになり、看護婦の説得に応じず、自分では何もしようとしなくなった。同月一八日からは、拒食による全身衰弱に対する栄養補給のため、輸液の点滴が開始された。同月二五日の診察所見は、失調高度、起座・起立不能で就床、失禁というものであった。同月二八日には、入浴に抵抗し看護婦に爪を立てて離そうとしなかったり、食卓をひっくり返したり、物を投げるなど依然として興奮状態が続いた。

被告島﨑は、原告の失調性歩行等の症状は、強力精神安定剤の鎮静作用が強く出すぎたためではないかと考えたのと、精神安定剤を投与しているにもかかわらず右のように興奮状態が改善を見ないため治療内容を再検討する目的もあって、同月二八日、処方を変更し、抗てんかん剤のみを投与することとし、精神安定剤の投与を中止した。

(四)  しかし、原告は、同年七月五日には、看護婦の胸を掴み、蹴ったり髪を引っ張ったりするなどの暴行を働いたほか、「私は死ぬんです。」とか「殺してください。」などと繰り返し言い、同日の被告石川の診察では、ひねくれたり、投げ遣りな言動が目立つという所見であった。翌六日にも、拒食、拒薬の反抗的態度や看護婦に対する暴行、暴言が続いたため、被告石川の指示で、同日から同月一六日まで鎮静剤セルシンの注射が行われた。

(五)  同月一三日、春子ら家族が面会に訪れたが、原告は、顔を伏せて寝たままで相手になろうとせず、看護婦が「家に帰りますか。」と問いかけても「帰らん、家は嫌い。」と言うだけで、家族に対し膳を投げつけるような態度を示した。その後も無気力な状態が続き、寝たきりで食事、排泄などに看護婦の介助を要し、相変わらず、衝動的に暴力を振るうなどし、不安定な精神状態が続いた。そこで、被告石川は、原告の精神症状の改善を図るため、同月一七日、いったん中止していた精神安定剤を再度投与することとし、従前の精神安定剤と系統の異なる強力な精神安定剤一〇%ニューレプチル一g、精神安定剤(抗てんかん剤でもある。)五mgホリゾン一錠、抗ヒスタミン剤一〇%ヒベルナ0.5g、一mgタスモリン三錠を追加処方した。

(六)  同月一九日の被告石川の診察によると、朝から睡眠傾向で食事ができない、上下肢が脱力状で、両側瞳孔の対光反射が遅く、心音がやや弱いとの所見であり、同被告は、原告が拒食や興奮による体力の消耗で右のように全身衰弱に陥っていたので、点滴を除き一切の投薬を中止した上、近日中に脳波検査を行って原告に対する治療方針を原点に帰って再検討しようと考え、被告島﨑の了解を得た上、同日以降点滴以外の投薬を一切中止した(なお、点滴は、同日から量を増やした。)。

ところが、その後、原告は、何度服を着せても全裸になる異常行動が見られ、同月二六日午後、入浴直後に大けいれん発作があり、しばらくもうろう状態が続き、翌二七日にも脳波検査中にけいれん発作を起こすなど両日で四回のけいれん発作があった。同日の診察所見は、意識清明で、何とか座ることができるようにはなっているというものであった。また、右脳波検査の結果は、やや高電位(三〇ないし一〇〇マイクロボルト)の不規則な徐波(五ないし六サイクル)がびまん性にみられ、デルター波のバーストが頻発し、過呼吸時電位の上昇が著しく、多発棘波が見られるなどこれまでで最も悪い所見であった。

被告石川は、脳波検査中に発来した発作を抑えるため一〇%フェノバルビタール一〇〇mg及び強力精神安定剤五mgリントン一ccを静注したほか、中止していた薬剤の投与を再開することとし、同日以降、従前の抗てんかん剤と系統の異なる抗てんかん剤バレリン一〇〇mg、精神安定剤五mgホリゾン一錠を処方した。

(七)  その後、原告は、誕生会で歌を歌うなど機嫌が良く、症状がやや好転し、同年八月一〇日の被告石川の診察によると、「自力で食事、座位が可能となり、何とかつかまり歩きもできるが、まだ危なっかしい」との所見であったが、同月一二日拒食、拒薬が見られ、被告医師らは、同月一三日に前月二七日以来処方していた薬剤に加え、抗てんかん剤(精神安定作用もある。)二〇〇mgレキシン三錠及び一mgタスモリン三錠を追加処方し、以後退院まで同様の処方が行われた。

原告は、同年八月一六日に入浴後裸でいるようなことがあったものの経過は比較的良好で、同月九日の診察所見では、一般的な身体状態に異常を認めなかった。春子が面会に訪れた同年九月四日には、原告は、二箇月前に比べると座ることもでき、介護歩行も良くなっている状態であり、春子は、被告石川に「退院して働けるところを探してほしい。」と依頼し、原告も「家に帰ると気分が変って良くなるので、退院したい。」と執拗に訴え、また、同月二七日に春子が面会した際にも、原告は、退院を希望し、被告石川は、原告を一〇月中旬頃外泊の形で一時帰宅させることを検討した。しかし、その頃の原告は、相変わらず、日常生活に看護婦の介助を要し、また、気分の変動が激しく、特に歩行訓練をするよう促すと決まって不機嫌となり、食事その他の用事の時以外は終日就床していることが多く、歩行訓練をしようとしなかった。そのため、原告の外泊帰宅は、当時、時期尚早として見送られた。

(八)  同年一一月二〇日春子が来院し、原告の入院治療費の経済的負担が重いので、医療費の補助を受けるため、身体障害者手帳の等級を現在の五級から三級に繰り上げてもらいたいと相談したので、被告島﨑は、紹介状を添えて原告を広島県立身体障害者更生相談所に紹介し、原告は、同月二五日、同相談所医師から脳性麻痺による体幹機能障害(歩行困難)で三級に該当するとの診断を受け、同年一二月二八日三級の身体障害者手帳の交付を受けた。

(九)  同年一一月二九日朝、原告は、食事中突然けいれん発作を起こし、一〇%フェノバルビタール一cc一アンプルを静注したが、注射後もしばらくもうろうとしていた。しかし、右以外には、症状に著変なく経過し、同年一二月三一日に翌年一月一二日までの予定で外泊帰宅したが、そのまま帰院せず、同月一三日付けで退院となった。

4  その後の経過及び原告の障害

(一)  原告は、昭和六一年二月二六日、けいれん発作のほか、歩行障害、構音障害、手のふるえ等を訴えて広島市民病院神経科で受診した。初診時、下肢の筋力低下と腱反射の減弱があり、歩行障害、構音障害が認められたが、頭部CT検査、筋電図検査、髄液検査等の所見に特に異常はなく、確定診断が得られなかったため、さらに検査を行い、併せて積極的リハビリテーションを行う目的で同年四月二日同病院に入院した。

(二)  入院時、原告には、持続性の構音障害が見られたほか、歩行は、失調が著明なため、伝い歩きしかできず、立位を保持することができない状態であり、小脳症状(特に下肢に著明)、筋力低下、下肢の深部腱反射の減弱等の神経学的所見が認められた。主治医の佐々木高伸医師(以下「佐々木医師」という。)は、右所見及び原告がアレビアチン四〇〇mgを服用してきた病歴から、原告の右症状については、アレビアチンによる中毒性のものがまず疑われると判断した。そして、同月五日のCT検査の結果、小脳萎縮が明らかで、萎縮は、小脳半球(皮質)に優位で、小脳虫部(中心部)も萎縮性であり、第四脳室の拡大も認められた。また、同月一五日のMRI検査においても小脳萎縮が認められ、同年七月三一日のCT検査の結果では、小脳に半球優位に萎縮があったほか、大脳皮質にもやや萎縮が認められた。

また、同年四月九日の知能診断検査によると、IQ五六で軽度精神発達遅滞であり、しかも、原告の場合、言語性の指数より動作性の指数の方が高く、相当以前から知能障害があったもので、その知能障害は、後天的な器質的変化によって起きたタイプというよりも先天的に存したものであることを窺わせる所見であった(後天的な原因で知能障害を来した場合には、言語性指数より動作性指数が低下するのが通常である。)。

佐々木医師は、原告を難治性てんかん及び小脳萎縮症と診断し、同病院では、てんかん発作抑制のため、同年二月二六日の初診時以降抗てんかん剤デパケン六〇〇mgを処方したが、発作が抑制されなかったので、同年三月一〇日これを八〇〇mgに増量し、更に、入院中の同年四月一九日以降抗てんかん剤テグレトール四〇〇mgを追加投与した。また、小脳萎縮症(小脳失調)に対しビタミン剤の大量投与療法を行い、同時にリハビリを併用し、原告は、同年六月一六日に退院した。

原告は右入院治療により、発作が軽減したほか、立位保持が可能となり、会話が楽になり、ADL(日常生活活動)が改善するなど前記運動障害、構音障害は、若干の改善を見たが、退院時にも、独歩ができない、食事、用便、入浴、洗面、衣服の着脱に介助を要するなどの障害が残っていた。

(三)  その後、原告は、一、二箇月に一回の割合で同病院に通院したが、症状にほとんど変化がなく、平成元年一二月以降は、同病院の紹介により双三中央病院に通院している。現在、食事や用便はひとりでできるが、伝い歩きしかできず、入浴や洗面には介助を要し、また、単独で外出したり、炊事や針仕事等の家事をすることができない状態であり、言葉もやや不自由である。

三  てんかん治療及びアレビアチンの副作用等

成立に争いのない甲第八ないし第一〇、第二〇、第三〇号証、乙第八、第一四号証、丙第二ないし第五号証、証人木下利彦の証言により真正に成立したものと認められる甲第二九号証(関西医科大学精神神経学教室教授齋藤正己、同講師木下利彦作成の「鑑定書」と題する書面。以下「原告鑑定書」という。)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三三号証、証人森山茂の証言により真正に成立したものと認められる乙第二三号証(熊本大学医学部神経精神医学教室教授宮川太平、山鹿回生病院精神科医師森山茂作成の「鑑定書」と題する書面。以下「被告鑑定書」という。)並びに証人木下利彦及び同森山茂の各証言によれば、以下のとおり認められる。

1  てんかんは、種々の原因によってもたらされる慢性の脳疾患であり、脳の神経細胞の過剰な放電(てんかん性放電)に由来する反復性の発作性症状(てんかん発作)を主症状とする疾病である。脳の神経細胞の過剰放電は、通常脳波検査を行うことにより脳波上に突発波として記録されるので、てんかんの診断は、臨床的に観察される発作症状と脳波検査の結果に基づいてなされるのが一般的である。

2  てんかんは、脳腫瘍等の明らかな脳内の基礎疾患によって生じる症状てんかんと原因が不明の真性てんかんとに分類される。また、発作症状と脳波に現れる発作性異常波の特徴により、原発全般てんかん、続発全般てんかん、部分てんかんの三つの基本型に分類される。このうち、原発全般てんかんは、てんかん性放電が脳の中心部(中心脳)から起こるもので、発作症状が全身に左右対称的、同時期的に出現し、脳波も棘波、棘、徐波などの発作性異常波が頭皮上の全領域に左右対称的、同時期的に出現する。一方、続発全般てんかんは、てんかん性放電が中心脳のみならず皮質、皮下を含めた脳全体から生じるもので、全身の左右対称なけいれんと意識喪失を特徴とする発作を示し、脳波には、高振幅の徐波と棘波が頭皮上の全領域に不規則に出現する高度の異常(右脳波は、ヒプスアリトミアと呼ばれる。)が見られる。続発性全般てんかんの病因は、脳器質性特に多焦点性又はびまん性損傷であり、精神症状、神経症状が多かれ少なかれ認められ、てんかんの中でも一般に難治であって、悪化への進行過程をたどり、予後不良の傾向が強いものである。

3  てんかん発作の型は、種々に分類されるが、中心脳性てんかんの代表的なものとして、大発作(強直―間代発作とも呼ばれ、全身性の強直性のけいれんが突発的に起こり、それに引き続いて全身の間代性けいれんを引き起こすもので、意識喪失を伴う。)と欠神発作(数秒ないし十数秒の意識消失を主症状とするもの)がある。

4  てんかん発作が起きると、けいれんによる転倒の際に頭部打撲等の外傷を被ることがあり、また、呼吸停止の状態となり低酸素状態が引き起こされるため、酸素欠乏に弱い側頭葉のアンモン角や小脳皮質を中心とする脳障害(断血性病変などと呼ばれる。)が生じる恐れがあり(てんかん患者の大脳や小脳に断血性病変による萎縮が生じることがよく知られている。)、さらには、発作の重積状態(発作が比較的短い間隔で反復したり、一回の発作が長時間(一時間以上)にわたる状態)に陥ると、脳浮腫を来して死亡する危険もある。

てんかんの治療目標は、発作の完全な抑制であり、そのために発作の原因である脳内の過剰放電を弱めたり、その広がりを抑える作用を有する薬剤(抗てんかん剤)を投与することによって、てんかん発作を抑制する薬物療法が中心となる(症状てんかんにおいては、原因疾患に対する外科的治療も行われるが、真性てんかんにおいては、抗てんかん剤による治療がほとんど唯一の治療方法である。なお、抗てんかん剤には、てんかん性放電の発現機序を消滅させる作用はなく、現在の抗てんかん剤による治療法は、対症療法である。)。

抗てんかん剤は、現在、発作の型に応じて数十種類が用いられているが、抗てんかん剤を過剰に投与すると、中枢神経系の障害による眠気、運動失調、複視、眼振等の中毒症状ないし副作用(以下「副作用」という。)を伴うことが多い。そのため、長期にわたることが多い(人によっては、ほとんど一生にわたって抗てんかん薬を服用せざるを得ない場合もある。)てんかん治療にあっては、いかに副作用の発現を抑制しつつてんかん発作をコントロールするかに主眼が置かれることになる。

5  アレビアチン(成分フェニトイン)は、全身けいれん発作、部分発作等に有効で、古くから最も広く使用されている抗てんかん剤の一つであり、アレビアチンの添付文書や多くの文献では、常用量の上限は三〇〇mg以下とされている。過剰投与により、急性症状として眼振、複視、失調、構音障害、傾眠、慢性症状として小脳性失調、歯肉肥厚、多毛等の副作用が発生することが知られている。急性症状は、減量により消失する。しかし、これらが常に可逆的であるわけではなく、永続的な障害として残ることもあり、また、特に長期連用患者においては、一回当たりの投与量が必ずしも過量でない場合においても不可逆的な慢性副作用を呈することが少なくない。そして、これらの患者には、小脳萎縮(小脳神経細胞の脱落、変性)が認められることがあり、これが右のような不可逆的障害の原因となると考えられている(小脳萎縮には、運動失調、協調障害、平衡機能障害、構音障害、眼球運動異常(眼振)などの神経症状が関連する。)。なお、小脳の器質的障害がある程度に達して初めて臨床症状が出現するものと考えられており、また、小脳萎縮は、成人よりも若年者に起こり易いとの報告があり、慢性の副作用発現には年齢因子が重要である。

6  てんかん患者の一部に小脳萎縮が見られることは古くから指摘されているが、現在までのところ、てんかん患者に見られる小脳萎縮の発現に関与する機序として、①繰り返し起こるけいれん発作により低酸素状態が引き起こされ、そのために神経細胞の障害が生ずる、②アレビアチンにより神経細胞の障害が生じ小脳変性が起きる、との主として二つの機序が考えられる。

7  埼玉医科大学教授山内俊雄は、北海道大学付属病院精神科神経科を受診し、一九七五年から一九八四年までの一〇年間にCT検査を施行した患者四二八名の小脳萎縮について検討し、次のように報告している(甲第三〇号証「抗てんかん薬の慢性副作用」)。

(一)  小脳萎縮を示す者の多くは、一〇年以上長期にてんかんに罹病し、その間に比較的頻発する全般強直―間代発作をはじめ、ときには他の発作も併有し、アレビアチンその他多種類の抗てんかん薬を服用している難治性てんかん患者である。

(二)  小脳萎縮を認めなかった症例のアレビアチン総服用量と小脳萎縮を示した症例のそれとを比較したところ、両者の服用量に差は認められず、小脳萎縮例より多い量のアレビアチンを服用していながら小脳変化の見られないものがある。

(三)  小脳萎縮などの器質的変化の発現に関与する因子は、単純ではなく、多因子性であり、頻発する発作、特に全般―間代発作、長期にわたる抗てんかん薬の服用、特にアレビアチンやその他の薬の多剤併用及び個体の持つ感受性が互いに関連しあって、特に変化を来し易い小脳や海馬、脳幹、大脳皮質などに器質的変化を引き起こすものと思われる。

四  因果関係

原告は、原告の運動障害、構音障害(前記二の4認定のもの。以下「本件障害」という。)は、被告医師らが昭和五七年以降投与したアレビアチンが原因であると主張するので、以下、検討する。

1  市民病院におけるCT検査やMRI検査の結果では、原告に小脳萎縮の所見が認められ、原告が小脳萎縮症と診断されたことは前記二の4認定のとおりであって、この事実に証人佐々木高伸の証言を合わせ考えると、本件障害は、右小脳萎縮が原因であると認めるのが相当である。

2  そこで、次に右小脳萎縮の原因について検討するに、前記二の2、3の認定によれば、被告病院におけるアレビアチンの投与は、三年余に及び、その量も常用量の上限又はこれを超える量である三〇〇ないし四〇〇mgと多量であったこと、昭和五九年二月一五日にアレビアチンを四〇〇mgに増量した後である同年七月九日、同年六月頃から原告にめまいやふらつきがある旨を、また、同年一二月一二日にも二箇月前から原告に下肢のふるえやふらつきがある旨を訴えており、また、入院後間もなく、失調性歩行が顕著となり、起座・起立が不能となるなど神経症状が悪化し、食事や入浴等に介助を要する状態となり、一時はほとんど寝たきりであったほか、失禁が続いたこと、ところが、同年七月一九日にアレビアチンその他の薬剤の投与を中止したところ、その後、運動障害等の症状がやや改善されたことが認められ、また、前記三の認定によれば、右のような症状は、一般的にアレビアチンの副作用として見られるものであることが認められるのであって、右に照らすと、原告の右症状の発現については、被告病院でのアレビアチンの投与が関与している可能性が十分考えられる。

そして、原告鑑定書には、アレビアチン四〇〇mg増量後にふらつきが出現し、約八箇月後に歩行困難となり、入院後全くの臥床状態に陥り、その投与中止後間もなく起き上がれる状態になり、歩行も不十分ながらできるようになったという時間的関係からしても、原告の小脳萎縮の原因は、アレビアチンの使用であった可能性が最も高く、アレビアチンと小脳萎縮との間に因果関係がある旨記載されており、証人木下利彦も同旨の証言をしている。

しかしながら、被告病院入通院中の神経症状の発現に同病院で投与されたアレビアチンが関与している可能性が大きいとしても、そのことから直ちに原告の小脳萎縮の原因が被告病院でのアレビアチンの投与であると認めるのは困難である。すなわち、前記二の1の認定によれば、原告は、遅くとも広島赤十字病院受診中の昭和四一年一月(原告八歳時)からアレビアチンの服用を開始し、三次病院、上下湯ケ丘病院でも投与されており、被告病院受診前における原告のアレビアチンの服用歴は、一五年に及んでいるのであって、被告病院での服用期間の約五倍に達していることが認められるところ、アレビアチンを長期連用している場合は必ずしも大量投与でなくても小脳萎縮が生じることがあること、小脳萎縮は成人よりも若年者に生じ易いこと、小脳萎縮が生じても直ぐに臨床症状が生じるわけではないことなどの前記事実にかんがみれば、仮に、原告の小脳萎縮がアレビアチンによるものであるとしても、被告病院受診前に既にある程度生じていた可能性も十分考えられ、被告病院での投与のみが原因と断定することは困難である。

また、原告のてんかん病歴は前記二認定のとおりであって、原告は、抗てんかん薬の投与にもかかわらず、幼少期から大発作や欠神発作等を頻回に繰り返してきており、脳波は、ヒプスアリトミアの出現が認められる高度の発作性異常所見を示しているのであって(被告鑑定書によれば、原告の病歴及び脳波所見等に照らし、原告は、続発全般てんかんに属することが認められるところ、右てんかんの病因は、脳器質性特に多焦点性又はびまん性損傷であり、精神症状、神経症状が多かれ少なかれ認められ、てんかんの中でも一般に難治であって、悪化への進行過程をたどり、予後不良の傾向が強いものであることは、前記のとおりである。)、原告の場合、頻回の発作により脳の低酸素状態が引き起こされ、これにより小脳に断血性病変が生じている可能性も否定し得ないところである。

さらに、原告が生後四、五箇月頃けいれん発作を起こしたことは前記二の1認定のとおりであるところ、前掲丙第二号証には、生後六箇月頃までは、てんかん発作は起きにくい時期であり、重篤な脳障害又は脳疾患によってのみけいれんが発現するとの記載がある。そして、被告病院受診前から既に原告に失調性動作、歩行障害、手のふるえ等があったこと、また、原告がIQ五六で軽度精神発達遅滞であり、しかも、原告の場合、言語性の指数より動作性の指数の方が高く、相当以前から知能障害があったもので、その知能障害は、後天的な器質的変化によって起きたタイプというよりも先天的に存したものであることを窺わせる所見であったことは、前記二の4認定のとおりである。これらのことからすると、原告には、生来又は幼少時から脳に何らかの病変があり、これが本件障害の原因の一つとなっているほか、アレビアチンの副作用や断血性病変の発現に影響を及ぼした可能性も考えられる。

原告は、脳の断血性病変の場合は、大脳と小脳の双方に萎縮が認められるのが一般的であるのに、原告の場合、萎縮が大脳に少なく、小脳にのみ著明であるところから、その可能性は低い旨主張し、原告鑑定書に同旨の記載がある。確かに、原告の場合、小脳萎縮が顕著で、大脳皮質にもやや萎縮が認められるという所見であったことは前記認定のとおりであり、証人佐々木高伸及び同木下利彦の各証言によれば、一般的にけいれん発作による断血性病変が小脳のみに生じることは考え難いことが認められる。しかし、前記認定のアレビアチンの副作用からして大脳萎縮をアレビアチンの副作用として説明することはできないし、てんかん患者の大脳や小脳に断血性病変による萎縮が生じることがよく知られていることは前記認定のとおりであって、原告の場合、小脳に比べ萎縮の程度が著明でないとはいえ、大脳にも萎縮が認められるのであるから、脳萎縮の原因をアレビアチンのみであると認めることは困難であり、脳の断血性病変の可能性を否定することはできないものというべきである。

また、原告は、高等学校を卒業し、編み物教室に通ったり大阪で単身生活をしたことなどから、幼少時から小脳病変があった可能性は否定されると主張するが、証人佐々木高伸の証言によれば、脳の病変が直ちに臨床症状に現れるとは限らず、成人に達した後に現れることもまれではないことが認められるから、原告主張の事実のみから原告の生来又は幼少時からの脳の病変の可能性を否定することもできないというべきである。

そして、被告鑑定書には、原告の小脳萎縮の発現機序は、頻回の発作、長期間の抗てんかん薬服用、個体の感受性等の多くの因子が関与していると考えるのが妥当であると記載されており、証人森山茂も同旨の証言をしている。

また、前掲甲第五号証の一、二(佐々木医師ら作成の弁護士照会に対する回答書面)には、原告の小脳萎縮の原因は不明であり、抗てんかん薬、特にアレビアチンによる可能性は否定できないが、てんかん発作、重積による二次的断血性変化及び元来の肢体不自由(身障五級)も考慮しなければならないであろうと記載されており、証人佐々木高伸も同旨の証言をしている。

さらに、前記三の7記載のとおり、てんかん患者の小脳萎縮の症例研究に基づき、小脳萎縮を認めなかった症例のアレビアチン総服用量と小脳萎縮を示した症例のそれとの間に差は認められず、小脳萎縮などの器質的変化の発現に関与する因子は、単純ではなく、頻発する発作、長期にわたる抗てんかん薬の服用及び個体の持つ感受性が互いに関連しあっているとの報告がなされている。

以上を総合すると、原告の小脳萎縮については、幼少期からのけいれん発作の頻発による脳の断血性病変、昭和四一年以降のアレビアチンの長期連用による副作用、原告の元来の脳の病変等の多数の因子が相互に作用しあって生じた可能性が考えられるのであって、小脳萎縮の原因を被告らの投与したアレビアチンであると特定することは困難であることはもちろん、右投与が小脳萎縮に及ぼした程度も全く不明というほかない。

したがって、このような場合、原告が主張する被告医師らのアレビアチンの投与と本件障害との間の因果関係の証明は尽くされていないといわざるを得ない。

なお、原告は、被告病院への原告の入院手続が違法であり、違法な入院と本件障害との間に因果関係がある旨主張するが、右主張は、被告医師らのアレビアチン投与により原告の症状が入院中に悪化し、小脳萎縮に基づく後遺障害を残したという主張と解されるところ、被告医師らのアレビアチンの投与と本件障害との間の因果関係の証明がないことは右説示のとおりである。

五  結論

以上説示のとおりであって、被告医師らのアレビアチンの投与と本件障害との間に因果関係があることを前提とする原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官高升五十雄 裁判官野島香苗 裁判官畑山靖は、転補につき署名、捺印することができない。裁判長裁判官高升五十雄)

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